こんにちは〜!すっかり寒くなってきましたね。外は真っ白雪景色です⛄️
僕は寒がりなんで、冬はストーブにかじりつき、そして電気毛布で過ごしています。。
そして、流行りに乗ってインフルAになってしまいました😷💦
全く、実際、癌よりインフルの方が辛いですよ、、癌は直接悪さしないですからね、インフルの方が、よっぽどタチが悪いっすよ💦
なんとか全身関節痛に見舞われながらもほぼ完治しました。
感染源は我が息子で、もれなく家族全員罹患しました(笑)
そんな寝たきり生活でしたが、最近はネトフリのブレイキング・バッドにハマっていてを全部見ましたよ〜。
癌で余命宣告された男が家族に多額のお金を残そうとするドラマですが、どんなにお金がたくさんあっても本当の幸せは掴めないんだな〜とつくづく思わされる作品でした。。。
これは面白かったのでオススメですよ!!
さて、先日室蘭民報さんの取材を受けて、大きな記事にしていただきました。
思いの外、反響が大きくて自分でも驚いています。
担当の林記者さんは、僕らのライブにも来てくれていて、「ぽっちゃりなビーナス」がラジオNIKKEIの「おとなのバンド大賞2018」を受賞した時も記事にしていただいた方です。
取材のお話をいただいた時は、正直戸惑いました。記事になれば当然、僕の病気が皆んなに知れてしまうし、そうなれば家族はどう思うだろうかと、、、特に中学生の息子は父親の病気を同級生に知られて何か嫌な思いをしないだろうか、子供って意外と残酷だからな〜、などと、良からぬことも脳裏をよぎりました。
ある日、息子と風呂に入っている時に聞いてみました「父さんの病気がみんなに知れると、お前も色々と聞かれることがあるかも知れないけど、大丈夫かい?」と。息子は全然平気そうでした。「自分は全然平気だから気にしないで!」
僕の方が息子に気を遣い過ぎていたのかも知れません。いつまでも子供扱いしていてはいけませんね(笑)
家族の同意も得られたことで、取材を受けることにしました。とても上手に記事をまとめてくださって、記者さんには、本当に感謝しています。
ここにスクラップを貼っておきますね。
改めて、病気のことを書いていきたいと思います。
このブログを始めたとき、僕はすでに「食道癌」でした。
同じ食道癌の患者さんやその家族が僕のブログを見て少しでも元気付けられたり、勇気を持てることにつながれば幸いに思います。
3月23日「室蘭soliste」でライブを行いました。
この日のパフォーマンスは酷いもので、自分でも全然ノリ切れないステージでした。
声はひっくり返り、高い声がでない、、散々な結果に僕はてっきり喉の調子が悪いのだと思っていました。翌日も喉の調子は戻らず、止む無く隣町の耳鼻咽喉科を受診しました。
結果は、「異常なし」様子を見てください。との事だった。
そんな訳はない。明らかにおかしい。自分の本来でるキーが歌えない。今までに経験したことのない症状に不安で一杯になりました。
そして、翌月に控えていたライブに向けて練習をするも、声が出ず日に日に悪化していくのでした。そこでメンバーとも相談し、キーを下げて歌うことにしました。
一向に治らない症状に、苛立つ毎日で、自分で吸入器を購入し喉のケアをしていました。
そして迎えた4月13日「居酒屋たく」でのライブ。
当然、うまくは歌えません。でもメンバーのサポートのおかげで、なんとかお客さんに楽しんでいただけるステージができたと思います。
翌日も声は、かすれて酷い状態、例えるならプロレスラーの天龍のようなかすれ声!!(笑)専門的には嗄声というらしい、、
病院では声帯は大丈夫との事で、一体何が原因なんだろう、、不安ばかりが募りました。
色々と自分の症状をネットで検索してみたところ、どうやら内臓からきている症状かも知れないと思い始め、室蘭の総合病院の耳鼻咽喉科と消化器内科をダブル受診しました。(4月16日)
セカンドオピニオンとなる耳鼻咽喉科は全く問題なし。
もう一つの消化器内科は問診により「逆流性食道炎」の疑いがあるので、後日、胃カメラで検査をしてみましょうという事になった。
4月23日 胃カメラ検査を行う。
意識のある中、検査は行われ、医師はカメラを挿入するなり、慌ただしい様子だった。「もう1人、先生を呼んできて」「これは大きいハコだ」「根が深い」と専門用語らしき言葉が飛び交っている。僕の心臓はバクバクしていた。これはただ事じゃないと感じていた。。。
起き上がって、パソコンの画面を見ると食道には大きな腫瘍が見られた。
素人目にしても、「何か大きな腫瘍がある」のは一目瞭然で、思わず医師に
「これは癌ですか?食道癌ですか?」と聞いてみた。
答えは、「その通りです。うちでは診ることはできません。札幌になります」
あっさりとした診察だった。頭の中は真っ白になっていた。
これは現実なのか、、、何度も夢じゃないかと思い、まさか何かの間違いだと何度も思った。画像や医師の会話から推測し、ネット検索するも症状はかなり進行しいるものと思われた。
帰宅し、すぐに妻に報告するも絶望感でいっぱいだった。息子はまだ小さい、家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
自分のことよりも家族のことが心配で、涙が溢れてきた。
我が家のその日はまるでお通夜のような一日だった気がする。
後日(4月26日)、腫瘍の細胞を採取した結果がでた。
「食道癌ステージ4a」
頭の中で、僕の人生設計がガラガラを音を立てて崩れていった。
もう助からない。1年、いや半年生きれるだろうか、、絶望と不安に包まれていく。
こんなことがあっていいのか。なんで自分なんだ。なんでこの若さで、、何かの間違いであってくれ、、頭の中はグルグルと色々なことが思い巡り、全く整理がつかない状態だった。
室蘭では治療はできない。そう告げられた。室蘭の医師は札医大を勧めたが、僕は病院の治療実績や医療関係者である兄の助言を参考に札幌のK病院を選択した。
入院前に休みの職場へ立ち寄り身の回りを整理した。
もうこのデスクに座ることはないかも知れないと思い、二度と戻らなくてもいいように不要なものを捨てて全て片付けた。
正式に診断されてから、初めて息子に病気のことを話した。
癌はとても進行しているため、お父さんはもちろん、頑張って病気と闘っていくけど、長くは生きれないかも知れないことも覚悟しておきなさいと伝えた。
息子は泣いていた。
僕も申し訳ない気持ちでいっぱいだった。息子のためにも長生きしてやりたい。
息子は今でも良く手紙をくれる。
「オレにはお父さんが治る姿しか見えないよ」そう自信を持って言ってくれる。
そうだ。僕もそう信じよう。
そして記念すべき令和元年1日にK病院へ入院することとなった。人生初の入院だ。
来る日も来る日も検査の毎日で、2週間近く経っただろうか。精密検査の結果は、
「食道癌ステージ4b」
4aと4bの違いは手術の選択肢があるかどうかだ。
4bとは手術の選択肢はなく、これ以上進行している症状はないと言えるものだった。
札幌で検査を受ければ、室蘭の検査が間違っていて、もしかしたら手術して完治する可能性があるかも知れないと一縷の望みを抱いていたが、全く現実は残酷なものだった。
他の臓器への転移はないが、背骨への遠隔転移があり最悪の状況だった。
医師いわく、「残念ですが、治ることはありません」
要するに僕はこれから完治するための治療を受けるのではなく、延命のための治療になるのだ。少しでも長く生きるための治療をすることになる。
絶望感に包まれて勇気を出して、余命を聞いてみた
「抗がん剤などの治療が効かなければ半年持たない人もいます。こればっかりは個人差があるので、余命はわかりません」
本当かなぁ〜、本当は余命わかってるんじゃないのかなぁ〜なんて思いながら、半ば上の空で聞いていた。
死を覚悟するも、特に何かするわけでもなかった。死ぬ前にやっておきたいこと。。。残された家族のこと以外、何も考えられなかった。息子が高校、大学に行けるように少しでもお金を残してあげられるだろうか。。生命保険はいくら降りるだろか。。死後の整理のことばかり頭をよぎっていた。
そして治療を進める事になった。通常、癌の治療は大きく3つの方法がある。
手術と化学療法(抗がん剤)と放射線療法の3つだ。
僕は手術の選択肢がないほど進行しているため、残された2つの治療を行う事になる。
すぐに化学放射線療法をスタートした。
化学療法は、5日間抗がん剤を投与して3週間休薬するのが1クール。
そして、放射線は週5回で、合計三十数回受ける。
僕は母を癌で亡くしている。その時に抗がん剤の治療を見てきているので、あまり良い印象はなかった。ただあれから十数年も経過しているため、医療はもっと進んでいるはずだ。
思った通りで、副作用は食欲不振があるものの、特にひどい副作用はなかった。
放射線の方はというと、痛くも痒くもない治療だった。
なんだか、治療も大した事ないかなと思いつつ、時は過ぎていった。
甘かった、、、
時が経つにつれ、化学放射線療法の辛さを目の当たりにしていた。
放射線は食道が大やけどをしている状態であり、皮膚が皮一枚ペロッと剥けている状態と言える。吐き気がひどく、水を飲むのも痛い。
食道が炎症を起こしているため、吐くと血がでる。黄色い胃液が出るも吐きすぎてもう何も出てこない。
痛みは麻薬で抑える事になるが、モルヒネ系はどうにも体に合わず、吐き気がひどい。
もう一つの麻薬でオキノーム(オキシコドン)は体にマッチした。
また、美味しくご飯を食べられる日がやってくるのだろうか、、、そんなことを考えながら1日1日をやり過ごしていた。
医師いわく、この治療は高齢者だと命を落とす危険もあるとの事だった。それほど、きつい治療のようだ。1週間単位で良くなっていくはずです、との医師の言葉を頼りに日々、とにかくその日を乗り越えていくのがやっとだった。
そんな中、やっと3ヶ月の入院がやっと終わった。
この間、家族や友人、バンドメンバー、ファンの皆様、医療スタッフの皆様のおかげで、なんとか化学放射線療法の治療を終える事になり、やっと一時退院ができた。
本当にどれほど、皆んなに助けられただろう。生きる望みをみんなにもらったと思う。
今後は、化学療法(抗がん剤)のみの治療を行う事になる。
原発巣(食道部分)の治療は放射線療法が効いて、ほぼ綺麗になくなっている。ただし、背骨に遠隔転移しているため、これは抗がん剤が効くのを願うしかない。
遠隔転移とは血液をめぐって転移しているということであり、これが原発巣付近の転移とは異なり、手術ができない事になるのだ。
これまでにすでに4クール抗がん剤を投与しているが、最近の検査結果で、新たにまた背骨への転移が確認された。
今月末に再度検査を行い、治療方針を変更する事になるかも知れない。
1ヶ月先の治療方針もわからない中、とにかく今できる最善の治療をしていただいている。
もう癌と診断されてから7か月が経とうとしている。当初は半年生きれるのか不安に思っていたくらいだが、ちゃんと今も元気に生きている!!まだまだ頑張るぞ!!癌が身体にあってもいいじゃないか!一緒に共存すれば良い!上手に付き合って生きていくぞ〜!!
音楽をやっていなかったら、歌っていなかったら、検査にもいくことはなかったし、僕はもうこの世にいなかったかも知れない。
また、音楽をやっていなかったら、癌という絶望感からの脱却もできなかったかも知れない。
病気が分かったのも、病気と向かいあうことができたのも、音楽のお陰なんだと、つくづく思います!
最近の体調はというと、抗がん剤を投与していない休薬期間はとても体調が良いんです。
なので、もうすぐ復職も可能ではないかと、思っていますが、中々どうして、職場との種々の手続きがありまして、、、体調が良い時に出て、悪い時に休むとか、そう簡単にはいかない状況でして、復職へのハードルは低いものではありません💦(꒦ິ⌑꒦ີ)
それではまた、このブログで今後の治療内容を書いていきますね!全国の食道癌と闘っている患者さん達に何かの参考になれば良いかと思っています!
癌患者の皆さん!!一緒に頑張りましょう!!
そしてなんとかその休薬期間にライブを予定したりしています!(^○^)
次は年末に予定しているライブです!突然の体調不良に気をつけなければ💦
もう日にちは決定して予約受付しているので、万が一、入院なんて事にならなければいいなとドキドキする毎日です💦
いや、きっと音楽の神様が助けてくれるはずです!!きっとライブはできるんだ!!
そう願って信じています!!
それに僕はバンドだ!なんといってもメンバーという仲間がいる!1人じゃないってこんなに心強いんだなって思います!!なのできっとライブはできるぞ!!🎸
今回のライブタイトルはこちらです!!
「胸騒ぎしNight vol.2 shashaband 復活の儀2」
すでにたくさんの予約が入っておりまして、チケットも残りわずかとなっております!もし、悩んでる??なんて方がいらっしゃいましたら、お早めのご予約をオススメします。
あと数枚で完売予定です!!
今回は僕の職場の後輩や同僚がたくさん来てくれるそうで、とても嬉しいんです!
これまで、後輩には僕から誘うと立場上、パワハラ?っぽくなってしまうので、いつも積極的に声をかけていませんでしたが、後輩が自らお店に予約をいれてくれて本当に感謝感激しています!(ノᗨ⁍᷅)クスン 本当にありがとう!!会えるのが楽しみです!!
また、中学時代の同級生や行きつけの誘惑のスナックのママさん達、いつも応援してくれる室蘭・伊達のSSBファミリー、数え上げたらキリがないほど、とても大好きな人たちが来てくれます!
あぁ〜、僕はなんて幸せ者なんだろう。。病気になって絶望してた時もあったけど、こんなに応援してくれる人たちと巡り合えているということは、僕にとって大きな財産です。
本当に皆さん、ありがとうございます!!
今回は初めてSSBのライブを観る一見さんが大半だと思います!!なので、しっかりと準備をして良いパフォーマンスを発揮できるように頑張りたいと思います‼️
12月28日(土)のライブに皆さんと会えるのを心より楽しみにお待ちしております!!
☆オマケ
10月のライブの写真ですよぉ〜!
ジャーハネさん良い顔してるぜっ!!
それではまた
ぐっない🌜
コメント